ジャネ派からみた不登校
ジャネ的な見方だと、不登校とはそもそも学校に行くための心理的エネルギーが不足しているか、あるいは心理的緊張(スキル)が不足しているためにエネルギーを学校に行くという高次の活動のために編成できていないか、ということになる。だいたいにおいてこの二つは同時に起きている。
そのため、まずはしっかりと心理的エネルギーを蓄えよう、ということになる。その初期においては心身を休めることが大事になる。そのエネルギーの減弱が学校の外(だいたい家庭だが)にあれば、そこの環境調整でエネルギーの流出を防ぐ必要がある。そして少しエネルギーが回復したのであれば、それを使用して新たな活動をしていき、その中で心理的緊張を高めていく。そして十分なエネルギーとスキルが備わったところで、学校に行くというトライをする(こともある)という感じである。
この作業を学校との関わりの中でやれるならやればいいし、学校の外でやった方がラクであるなら学校の外でやればいい、ということになる。学校に通うことは結構な量の心理的エネルギーと心理的緊張(スキル)が必要なのだということが分かれば、その子どもにどちらが適しているかは自ずとわかると思う。何がなんでも登校させようorいっさい登校させないというのは、個々の子どもの状態や環境というのを無視しているので、結局は一般論で語れないということになる。
まあ結局は行動活性化→スキル養成ということであり、やっていることは認知行動療法的な枠組みと近しいんだろうな、と思う。