バウンダリーを大切にし、生活を支えるカウンセリングルーム

2025年8月9日

家庭環境と評価の固定化

家庭の中での役割や評価は、一度定着すると長く変わらないことがあります。外でどれだけ成果を上げても、「家の中でのあなた」という見方がそのまま続くことも珍しくありません。こうした見方は、本人の自信や自己像、将来の計画にも影響します。

困りごとに支援制度などの利用を考えるときも、「それを使うと周りからどう見られるか」という気持ちが働くことがあります。他にも、家族との関係で境界がはっきりしていない場合、行事や役割を当然のように押し付けられ、負担と義務感がせめぎ合う場面も出てきます。柔軟に対応できればよいのですが、そうでない場合は全部拒否してしまったり、逆に全部引き受けてしまったりと、極端な動きになりやすいです。

守ってくれるはずの家族が機能しなかったり、かえって問題を助長してしまうこともあります。そんな中では「問題はないように見せること」が求められ、抵抗すると「関係を壊している」と非難されるなど、複雑な構造が生まれることもあります。

職場環境と安全感・仕事の負担

職場で人間関係が良くても、突発的なトラブルや安全面の不安は心の負担になります。たとえば季節や繁忙期によって残業が増えたりすることで、体調や生活リズムにも影響が出やすくなります。

新しい職場に慣れていくときは、仕事内容や人間関係、勤務条件が生活のペースやストレス耐性に直結します。たとえばのんびりとした福祉就労では、精神的な負担は少なめですが、単調さや時間の流れのゆっくりさに慣れる必要があります。

安全面やプライバシー保護のルールがきちんとしている職場は安心感がありますし、上司の理解や勤務調整の柔軟さは長く働くための大きな助けになります。逆に、成果が他人のものとして扱われる職場や、性別役割が固定化された環境では、過去の経験と重なって、強い不満や嫌悪感が生まれることもあります。達成感を大事にする人にとって、成果が見えにくい仕事はモチベーションを下げやすいでしょう。そんな中でも、感情を安定させるために小さなルーティンや自分だけの工夫を取り入れる人もいます。

心の守り方と適応の工夫

過去のつらい経験や長期的な支配的関係は、強い警戒心や生理的な嫌悪感を残します。たとえば相手の表情やしぐさを過剰に読み取ることは、危険を避けるためには役立ちますが、脅威がない場面でもエネルギーを消耗させ、対人疲労につながります。

心を守るために、あえて「俯瞰する視点」を持ったり、自分の中に安心できる存在を想像して対話する方法を取る人もいます。これは現実の厳しさに耐えるための支えになりますが、同時に人間関係での感情のやり取りを難しくすることもあります。

心理的なサポートの場では、安心できる風景や記憶を思い出して心を落ち着ける練習や、小さな成功体験を積み重ねることが行われます。こうした取り組みは、防衛反応を少しずつ緩め、自己効力感を取り戻す助けになります。

将来の暮らしと続けられる働き方

将来の暮らしを考えるとき、自立の形や住む場所の選び方は大事なテーマです。グループホームや一人暮らしは、それぞれ費用や自由度、支援の有無が違うため、自分の価値観や生活スタイルに合わせた判断が必要です。

働く日数や時間の増減は生活全体に影響します。家庭や子育てと両立するには、勤務時間帯や曜日の調整が重要です。新しい環境に入った直後はストレス耐性が高くても、数か月後には疲れや慣れからくる気の緩みが出やすいため、ペース配分や休養の確保が欠かせません。

また、収入と支出のバランス、将来のための貯蓄目的、行政や保育との調整も長期的な課題です。活動を選ぶときは、そのときの達成感だけでなく、どれだけ負担をかけずに続けられるかを考えることが大切です。

人とのつながりと回復のための時間

趣味や創作、体を動かすことは、心のエネルギーを回復させます。旅行や芸術、スポーツなど、安心できる人と一緒に過ごす時間や、没頭できる活動は、自己感覚を整え、孤立を防ぐ効果があります。

一方で、コミュニティや趣味の場に参加しても、交流が深まりにくかったり、価値観の違いで疲れてしまうこともあります。メンタル面で不調を抱える人同士の集まりでは、その差が会話を難しくすることもあります。そんなときは、自分にとって安心できる人や活動を選び、負荷と回復のバランスを意識することが大事です。

「ミラノ風ドリア」

サイゼリヤのミラノ風ドリアを例にして、人との交流や趣味活動の選び方についての考えることができます。ドリア一般についての知識や評価(観念)も大事だが、実際に今目の前にあるミラノ風ドリアを食べて「美味しい」と感じられるかどうかが、サイゼリヤでもっとも重要なことなのです。

つまり、活動や趣味の場でも「その場・そのメンバー・その文脈」で自分の感覚がどう反応するかを重視するべきで、いくら概念的に好きだと思っても、実際にやってみて合わないこともあれば、逆に期待していなくても楽しめる場合もあるのです。ドリアでいえば、「ミラノ風ドリアは好きだがガストのドリアは苦手」といったように、同じジャンルでも場や条件によって評価は変わるのです。